まよいご
僕の名前は守村悠季。
新潟で生まれ育ってきて、バイオリンが唯一って言っていいほど生きがいになっている。
バイオリニストになりたいっていう夢をかなえるために、清水の舞台から飛び降りるようなつもりで試験を受け、自分でも思わず頬をつねってしまったくらいに信じられないことだったけど、なんとか合格できて東京の音大へと進む事が出来た。
本当に合格したんだなァって実感がわいたのは、東京に出てきて、あれこれの手続きをしてからのこと。
今日は4月からは大学近くにある楽器OKのアパートに住む事になっているんで、下宿先の部屋にやってきた。不動産屋さんに頼んであったからどんなところなのか下見に来た・・・・・んだけど。
ずいぶん歩き回ったんだけど、そのアパートの場所が見つからないんだ。
新潟の僕が生まれ育ったあたりじゃ建物は密集していない。田舎だからね。でもこのあたりは細い道路が幾つもあるもので、一つ通りを間違えると全く違った場所に出てきてしまう。
それでも捜しまわっていればきっと見つかると思っていたんだけど・・・・・もしかして僕が場所を勘違いしているのかな?
どうしても見つからなければ、ちょっと恥ずかしい話だけど、紹介してくれた不動産屋さんに連絡してあらためて場所を教えて貰えばいいんだけど、それはあくまでも最終手段。自力で何とかしなくちゃね。
あちこちの通りを見ていると、来たことがない場所のはずなのに、なんだかとても懐かしい感じがする。これってデジャ・ヴューって言うんだったかな。こういう感じの町ならきっと暮らすのも楽しいだろう。
でも、どうしてもアパートは見つからないんだった。
「ああ、疲れたなあ」
ふと見かけた児童公園に入ってベンチに座り込むともう歩くのはおっくうになってしまった。もう自力で発見することはあきらめて不動産屋さんを頼ろうか。
そんなことを考えていた僕の前の地面に影が差した。
「・・・・・。こんなところでどうしましたか?風邪をひきますよ」
低くてよく響く、すごくいい声だ。
うつむいていた頭を上げていったけど、まだ顔に到達しない。ずーっと仰いで行ってようやく見えた。わあ、ずいぶんとのっぽな人だな。
見上げた姿は日陰になっていて表情がよく見えない。その人はまるで僕を知っているような口ぶりみたいな気がするけど、・・・・・どこかで会ったことがある人か?
うーん、知らないな。それに東京に知り合いなんているはずないんだから。
彼がちょっとからだをずらすと影から抜け出したのでよく顔が見えた。
すごくハンサムでかっこいい男性だった。東京って、こんな洗練された人がいるんだ。
でも・・・・・やはり知らない人だ。知り合いかもって思ったのは気のせいだった。こんな人を僕が見たことがあるはずないじゃないか。なんて勘違いをしたんだろう。
「あの・・・・・どなたですか?」
僕が尋ねると、その人は一瞬眉をひそめ、けれどすぐに無表情に戻ってこたえてくれた。
「あー、君がなんだか具合が悪そうに見えましたのでお尋ねしたのですが、大丈夫ですか?」
知らない人が気にして声をかけてくるほど、僕ってひどい顔をしていたのかな。
「いえ、ちょっと疲れたんで座っていただけです。その・・・・・捜していた場所が見つからないので」
「そうでしたか。・・・・・隣りに座ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
彼は僕の隣に座ろうとしたんだけど、それまでの洗練した動作が崩れ、ふらりとよろめいたんで僕は急いで手を差し伸べた。
「だ、大丈夫ですか?!」
「失敬。少し足の調子がよくないようです」
ひざでも悪くしているのか、ベンチに座るとしきりに足をなでている。
「君が捜しているというのはどこですか?僕でよければお手伝いできると思いますが」
その人の穏やかで丁寧な口調で話す声は耳に心地よい。
「この辺りに住んでいる方なんですか?」
「ええそうです」
「だったら教えていただけませんか?富士見町の・・・・・」
僕は不動産屋に聞いておいた下宿先のアパートの場所を言った。
「今度音大に通う事になっているので、こちらの不動産屋さんに頼んでおいた下宿先を見に来たんです」
「ああ、なるほど。・・・・・邦立音大に入学ですか。それでしたら捜しているのは宮島アパートなのではありませんか?」
「・・・・・いえ?そんな名前じゃありません。違います」
宮島アパートなんて知らない。なんでこの人からそんな名前が出てくるんだろう?
でも・・・・・どこかで聞いたことがあるような気がするのはいったいどういうことなんだ?
そういえばこの街に来てからずっと『初めてじゃない』なんて何度も思ってしまうのは・・・・・何を意味するんだろう。
「それは失礼しました。その住所でしたら・・・・・あー」
その人は困った顔をして、先を続けようとしない。迷った様子でためらった末に口を開いた。
「この公園の入り口の電柱に住所表記があるのですが、ご存知ですか?」
「・・・・・いいえ」
「見ていただいたほうが分かりやすいと思います」
身振りで僕に見るように示している。いったい何を言いたいのか分からなかったけど、僕は立ち上がって電柱に書いてある場所を確認しに行くことにした。
「えっ!?そんな・・・・・嘘だろう!!」
そこにあったのは、先ほど僕が読み上げた場所。
信じられないことに、僕が先ほどから座っていた公園が下宿先のアパートがあるはずの場所だったんだ!!
あわてて持ってきたメモ書きを見て確かめた。間違いなく僕が覚書に書いた場所はここだったんだ。
「数年前まではアパートがあったそうですが、取り壊して地主が数年契約でここを公園として富士見市に貸しているそうです」
「ということは、僕がメモ書きを間違えて引き写してきたか、それとも不動産屋さんからの書類が間違っていたってことかもしれないですね」
「・・・・・そうかもしれませんね」
彼はまた何か言いたげに迷っていたみたいだけど、それ以上は何も言わずに立ち上がった。
「・・・・・っ!」
彼が立ち上がろうとしたとたん、顔をしかめてまたよろめいた。
「大丈夫ですか?!」
「心配ありません。少し疲れているだけでしょう。どうかお気になさらず」
でも顔色がよくない気がする。それに・・・・・なぜだかこの人とこのままさよならするのはとても残念な気もするんだ。
「あの、僕でよかったら家までお送りしましょうか?」
さっきだって、ベンチに座ろうとしてよろめいていたし、このままじゃ危なっかしくて気になってたまらない。
「そうですね。ええ、申し訳ないですが、手を貸していただけないでしょうか」
「どうぞ、肩につかまってください」
僕は彼に肩を貸して歩き出した。
途中彼はこのあたりにある店や場所を教えてくれながら歩いていった。きっと春から大学に通う僕のためにレクチャーしてくれるつもりなんだろう。
話の中にはおいしいコーヒーを出してくれるモーツァルトという店のことや、質のいい肉を扱っている肉屋さんとか商店街のあれこれが出てきた。
銀行のような石造りの建物の前を通って進んでいき・・・・・あれ、銀行じゃないみたいだ。映画館?それとも貸しホールなのかな?
やがて彼の足が止まった。
「ここです」
その人の家だという場所に到着してびっくりした!
なんだか物語にでも出てきそうな大きな洋館なんだ!古くていかめしくて、でもレトロな感じがとてもいい味を出している。
「ちょっと寄っていかれませんか?よろしければ僕自慢のコーヒーを入れて差し上げますよ」
「でも、知らない人間をいきなり連れてきたりしたらおうちの方たちに迷惑ですよ。僕はもう帰ります」
僕が玄関を出ようとしたときだった。
「グァルネリがありますよ」
ぽつりと彼が言った。
「えっ!?」
バイオリニストにとって、何よりも大切なものは楽器で、それも腕が上がるにつれてもっと性能のよい音のい愛器がが欲しくなる。愛器にできないにしろ手にとって見たい弾いてみたいという欲求は本能に近い。
彼が口にした楽器の名前はあっさり無視するには魅力的過ぎた。
「国産ですが、オーダーメイドされた極上のバイオリンもありますよ。音色を試してみませんか?」
バイオリン弾きにとっては、猫に鰹節というものだ。
「僕が弾いても・・・・・いいんですか?あの、どなたかの持ち物を勝手に触っても怒られたりしませんか?」
「大丈夫ですよ。さあ、どうぞ」
そうなると現金なもので、彼のうながすままに彼のお宅(お宅というより邸宅と言ったほうが近い気がする)の玄関を入った。
でも・・・・・あれ、僕がバイオリン専攻だって、彼に言っていたかな?でもそんな小さな疑問は中に入ったとたんに頭から消えてしまった。
外側が古めかしかった建物の中は、思っていた以上に明るくてきれいだった。
入ってすぐに額絵が飾ってあり、その奥に扉があってあそこが音楽室。楽器がおいてあるのはその部屋だろう。
僕は靴を脱ぐといそいそと部屋の中へと入っていった。奥にあるバイオリン専用の箪笥に置いてあるのはグァルネリに『草薙』。
どちらを弾くか迷っていたけど、やはり弾きやすい草薙を手に取った。
弓を締め、調弦をしてさて何を弾こうかと迷ってから、思いつくままにタイスの瞑想曲、ヴィターリのシャコンヌ、ロンド・カプリチョーソと弾きすすんだ。
ずいぶんと手がなまっているみたいだ。もっと練習しないとな。さて次は・・・・・と思ったところで気が付いた。
いったい僕は今何をしていたんだ?
まったく知らないはずの場所に来ているのに案内もなしに部屋の中へと入り込んで、知らないはずの場所から迷いもせずにバイオリンを取り出して弾いてみせた。
それに・・・・・手に持っているバイオリンの銘なんて知っているはずもないのに。
震えがとまらない手に握っているバイオリンに目をやれば、さっきまでは確かに見慣れたバイオリンを弾いていたという記憶があったのだ。これは僕のために作られ、僕のためにと渡されたバイオリン。
なのに今はまったく見覚えがない。
「思い出しましたか、悠季?」
顔を上げるとコーヒーカップをのせた盆を持った彼が・・・・・。
「な・・・・・に・・・・・?」
僕の声は思い切りかすれていた。
「先ほど光一郎氏に挨拶をされていたでしょう?それにためらうことなくこの音楽室へと入っていった。この家を知っているのです。つまり、ここは君の家なのですよ。ここで君は僕と暮らしていたのです」
「う・・・・・」
嘘だという言葉はのどの奥にひっかかった。
確かに僕は無意識のまま玄関に飾られていた額絵に挨拶をした。そうすることが当然だと知っていたかのように。
そして、見てくださいと彼が手をかざした方向を見て思わず息を呑んだ。
そこに飾られていたのは燕尾服の姿でバイオリンを弾いている僕の写真だった。それも何枚も。
「これも君のものですよ」
差し出されたのは額に飾った賞状。そこに書かれていた名前は
『La plus recompense Youki Morimura』
・・・・・えーと、フランス語はよく分からないんだけど。
「最優秀賞です」
「最優秀賞って!?」
つまり僕が優勝したってことになるのか!!
「うそだ!」
思わず僕は叫んでいた。そんなことがあるはずがない!僕は今年大学に入ってこれからプロになるための勉強をすることになっているんだ。
それにオーケストラに入るくらいがせいぜい見られる夢の限界でしかない僕が、そんな有名なコンクールに優勝するどころか出られる資格だってあるはずがないじゃないか!
「君が覚えていないだけです」
不思議な微笑みを浮かべて、彼は言った。
「受賞された年度を見てください」
賞状に書かれていたのは1999年・・・・・。
それって、僕が28歳だということになる!そ、そんなこと・・・・・!まさか、僕はいったいどうしちゃったんだ!?
「とりあえず座りませんか?コーヒーをどうぞ」
混乱しきっていた僕に彼が穏やかな声で席へとうながしてくれた。勧めてくれたカップを受け取ると、いい香りに少し気持ちが落ち着いた。震える手を必死に押さえ、コーヒーを口に含むとふんわりとただよう甘い香りとほろ苦い味に気持ちがすっきりする。
そうしてから彼・・・・・圭から聞いた、まったく覚えていない僕の話。
「・・・・・あなたが僕の恋人!?」
「そうです」
そして彼が示したのは左の薬指に輝くプラチナのリング。そして・・・・・無意識に目を落とし、自分の右手に見えてしまったのは、彼とおそろいのリングだった。
「で、でも、だったら・・・・・」
僕はどうしてその記憶がないんだ?
最後まで言い切ることができなかった。でも僕の必死な視線に何を言いたいのか分かっていたはず。
それなのに圭は視線を落とした。
「後ほど説明しましょう。疲れたでしょう?少し休まれたほうがいいと思います」
言葉を濁して説明しようとしない。なんでだ!?理由が分かっているのなら、どうして説明してくれないんだろう。
「でもっ・・・・・」
僕は彼に食い下がろうとしていたのに、なんだか頭が朦朧としてきた。しゃべろうとしているのに、言葉が出てこない。
「眠りなさい、悠季」
きっぱりとした声で彼が言った。
ふらりとからだが泳いだところを圭が受け止めてそのままソファーに横にされた。
もしかして、これって彼が僕に眠り薬を盛ったのか!?
何のために?どうしてそんなことをする?
でも彼にたずねようとしてももう言葉は出せない。なじろうとからだを起こそうとしても動かない。
僕をいったいどうするつもりなんだ?
まだ少し意識はあるけど、もう時間の問題だった。このまま僕はここで眠り込んでしまうだろう。
まさかさっき彼が説明したことはすべて嘘で、僕を監禁するために仕掛けたわなだったのか?
でも、田舎の音大生にわざわざこんなことをする理由が分からない・・・・・。
「見つかったのか?」
「ええ、ようやく見つけて連れ帰りました」
僕の耳に人の声が聞こえた。この声は・・・・・?
「もう限界だろう!お前ひとりで何もかも背負えるわけじゃない!彼のことは専門家に任せるべきだ」
「いや、ハツのときと同じような轍を踏むつもりはありません。僕が最後まで面倒をみるつもりです!」
「だが、今日だって・・・・・」
言い争う二人の声。
なんでハツさんのことで言い争っているんだろう?
本当に眠り込んでしまう前の、ほんの一瞬の覚醒。水に浮かぶ泡のようにはかない目覚めが僕に訪れたらしい。でもすぐに眠りに誘い込まれてしまうのがわかっている。
もうそうなったら眠るしかないということも。
必死でまぶたをこじ開けようとしたけど、わずかしか開けられない。それでもなんとか薄目を開けてみるとそこに見出したのは
二人の・・・・・老人?
「おい、桐ノ院。もうお前だって限界だってわかっているはずだ。これ以上症状が進めばもうお前のこともまったくわからなくなってしまうだろうよ」
「わかっています。ですが・・・・・」
さっきまでの混乱は治まっていた。
僕はこの家を知っている。そして彼のことも。
僕のすぐそばで話しているのは・・・・・圭と宅島くんだったんだ。
ああ、ごめん。僕は君の事を忘れかけてしまっているのか・・・・・?
後悔と悲しみが胸に押し寄せてきたのもほんの一瞬。すぐに波のように眠気が僕をさらい深く黒い闇のように沈めていく。
こうやってあの病気は僕の記憶を食い破っていくのだろう。
眠り込んでしまう前に、必死に『圭』、と呼びかけたつもりの声は彼には届かない。
動かない腕を必死に動かして手を伸ばしたけど、すぐに力が尽きた。
そうして眠り込んでしまう前、最後に目にうつっていたのは圭のほうへと伸ばされた僕の手。
プラチナのおそろいの指輪をはめた―――――年老いてやせ細った手だった。
こんな難産な話は今までありませんでした。
ふと考えたのは、富士見三大ネタの中の『記憶喪失』の話って書いたことないなぁということでした。
(ちなみに3大ネタとは、「死亡」「時代物」「記憶喪失」だとか?)
記憶喪失で書くなら・・・・・と考えていて思いついてしまった今回の話。
なかなか先に進まないというか、書くのが嫌〜!な話でした。
「だったら書くな!」と言われそうですが、どうやらこの話をおろしてきた神様は、これを書かないと次を書かせてくれないようで、
どうにも先が続きません。おかげで更新が延び延びに・・・・・。 (T^T)
でも、ユウキストとしてこんな話はなぁ・・・・・(号泣)
しかたなくこちらに書きなぐって、遁走することにします。
ユウキストの皆様、ごめんなさいっ!
2014.2/13 up